About me




空を見上げるように、
鼻歌をうたうように、
アートがごく普通のことであるように。

とてつもなくおもしろくて豊かなことを、
伝えていく。
そのために私はどう動いたらいいのか、いまだに模索中。

そのなかで、 アート を ことば にしていこうと思います。





norico. :
1981年生まれ。
美術館で作品の案内をしています。何をどう伝えるか、与えすぎず与えなさすぎず、学ぶことばかり。
もっとエデュケーションにつっこんでいきたいし、もっと分野も広げていきたい。





私とアートの15年間

高校生1年生のとき、初めて油絵を描きました。
青空が思うように描けなくて、美術館でひたすら空ばかりに注目していたのが、意識的に作品をみた一番古い記憶です。

そのとき惹かれたのが、アルフレッド・シスレーが描いた、のびのびとして、鮮やかで、ぱっと捕まえたような空でした。

アルフレッド・シスレー《セーヌ川の舟》1877頃 コートールド・コレクション, ロンドン

それから印象派や美術史に興味を持ち、展覧会に足を運ぶようになりました。
シスレーは今でも一番好きな印象派の画家で、私に自発的にアートを楽しむきっかけを与えてくれた作家です。

大学ではそのまま美術史をかじりつつ、遠近法や構図といった造形表現を専攻しながら、相変わらず西洋の近代以前のものばかりをみていました。この頃の私は、コンテンポラリーアートにはほとんど興味がなく、むしろ「わからない」と思っていたタイプです。

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そんな私がコンテンポラリーアートに興味を持つようになったきっかけは、大学3年生で行ったヨーロッパでのこと。

1ヶ月まるまるアート漬けの旅行では、教科書に出てくるような作品を実際にみて、「実物」のもつオーラに圧倒されっぱなしの毎日でした。美術史の授業で取りあげた作品を目の前に、授業の内容を振り返り振ることが面白くてたまりませんでした。

過去の巨匠たちの作品に少々食傷気味だった旅の中頃、ミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネでひとつの映像作品をみました。

作家も作品名も忘れてしまったけれど、とても印象に残っている作品。

それは、複数のスクリーンの中で、様々な人種の人が入れ替わり映し出され、"I love you" "You love her" "She loves him" "He loves them" "They love me"...といったように一言ずつ唱えているもの。すぐに、1年前に起きた同時多発テロのことが頭をよぎりました。

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と同時に、この作家と9.11という同じ事実を共有していること、同じ時代を生きていることを興味深く思い、言葉は交わさなくても、作品を通じてコミュニケーションができたように感じました。

解説に頼らなくても、作家が何を伝えようとしているのかが、作品から直に伝わってきたのです。

「わからない」と思っていたコンテンポラリーアートが「わかる」と思ったのと同時に、「面白い」と思った瞬間でした。

それまでは、美術史の知識と情報をかき集めて作品をみていたけれど、まだ美術史になっていない作品は、生々しくてフレッシュで、なによりも身近に感じることができました。

しかし、日本に帰ってきて、もともと美術館に行く人は一握りなのに、さらにコンテンポラリーアートをみる人が少ないことに気付きました。それまでの私もそうだったのですが、これはなんとしたことか!

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美術史になっている時代の作品であれば、解説もしっかりあるし、ある程度の「こたえ」のようなものもあります。何が表現されているのかも明らかにされているので、安心感があってみやすい。

一方、コンテンポラリーアートについては、解説もほとんどなく、それが何なのか自力で自分なりの「こたえ」をみつけ出す作業が必要になります。でなければ、以前の私と同じように、「なんだかよくわからない」ままで、満足できない。そういう人が多いのだと思います。

でも、まだ普遍的な「こたえ」がないので、縛られることなく自身の目で自由にみることができるのがコンテンポラリーアート。

作家と同じ時間を生きている分、自分の経験や感情というフィルターを通して作品をみてしまうところがあると思います。でもそれは己を省みることとなり、またそうさせることがアートの持つ力のひとつでもあると思います。

そうやって古いも新しいも問わず、アートを自分のものにして楽しめる人が増えたらいい。

高校1年生のとき、初めて「作品」と向き合いました。
それからずっと、その面白さに取り憑かれています。これは絶対にいいものだから、皆にもわけたい。私のアートに対する原点はここにあります。


クオリティの高い豊かな「アート」という現象を、ただ広めるだけではなく、それを楽しむためのちょっとしたきっかけを与えることができたらいいなと思いながら、noricolumnを書いています。

2011.6.10